伝承からみた日本のサメ崇拝文化

9. 結び
南方熊楠は、明治43年に「本邦における動物崇拝」で、磯部大明神のサメ崇拝をとりあげ、これがアフリカ、セイロン、トレス海峡、東インド諸島、タヒチにひろくみられるサメ崇拝と共通していることをすでに論じている。
その意味で、本論はそれを踏襲したにすぎないが、おなじ道を踏むにしろ、私は自分の歩幅、歩調で進もうと思い、十五年を要した。
以上、伝承から日本のサメ崇拝と「イソベ海人」について、オセアニアなどのサメ崇拝との比較で論じてきた。
『古事記』や『風土記』にみえるサメ=ワニにまつわる伝承は、サメとのゆかりの深い「イソベ海人」の伝承ではなかったか。だから世田姫伝承と猪麻呂伝承が、伊勢志摩あたりに七本鮫の伝承として今日に語り継がれてきたにちがいない。志摩の磯部(古くは伊佐波)の磯部神社(伊佐波宮、伊雑宮)がサメの古語サバに由来することは本論に述べたとおりである。
そして、これらの伝承がただのつくり話ではなく、実際の大型の外洋性ザメ(主としてメジロザメの仲間)の生態をよくとらえた話であり、「イソベ海人」が、サメの危害を未然に防ぐ知恵として、先の伝承を口々に語り伝えてきたのだろう。また、サメの信仰もそうした知恵から生まれたのではないか、と考えられる。
私達は、日ごろ死というものを身近に意識していない。それに比例して生というものの意識も希薄なのである。死とのせめぎあいのうちに、自らの生を見つめざるを得ない、漁撈・狩猟民は、食う・食われるの関係で、獲物の命のはかなさ同様、いつ命を落とすかもしれない自らの生命のはかなさを痛感してきただろう。そういう意味で、彼らは、生と死の遇然性のうえに、自らの生命を他の動物の生命と同等同質においてみる世界観を形成してきたのではないか。
それがアニミズムの世界だろうと私は思う。
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〔註・参考文献〕
(1)(2) 『風土記』日本古典文学体系2、秋元吉郎校注、 1958 岩波書店
(3) 『志摩の海女』 岩田準一、1971、 中村幸昭
(4)(5) 「田原藤太郎龍宮入りの譚」『太陽』、南方熊楠、1916、(『南方熊楠全集1』1971 平凡社所収)
(6) 「本邦における動物崇拝」『東京人類学会誌』二十六巻三〇〇号、南方熊楠、1911、(『南方熊楠全集2』
(7) 「本邦における動物崇拝」で、南方熊楠は、「東インド諸島およびアフリカで鮫をいたく尊崇すること、F.shultze"'Fetichism'"Trans New York "1985"
P79 にでて、セイロン・トレス海峡等には、漁に臨んで種々に鮫を厭勝してその害を免れんと力む(Tennent"opcit"P 398;Frobenius"'The childhood of Man'"London"1909"P242(以下略)」と記している。また、オセアニアに関しては、ファルコ・クイリチ『遙かなく青い海』(近藤等、吉田まさこ英訳、1972)にも多くの事例があり、カリブ海とニカラグアのニカラグア湖については、フランソワ・ポリ『人喰鮫は夜釣れる』(川崎竹一訳、一九六三)に詳しい。
(8) 「自然の文化表象」『文化人類学へのアプローチ』伊藤幹治、米山俊直編、秋道智彌、1988、ミネルヴァ書房
(9)『岡山県漁業民俗断片録』湯浅照弘、1977、湯浅照弘
(10)『倭名類聚抄』 源訓 936 (『故事類苑 動物十七』
(11)『日本語の世界 日本語の成立』 大野晋、 1980、中央公論
(12)『清国輸出 日本水産図説』 水産局、 1886、 農商務省
(13)「日本魚名集覧 第三部]『日本常民生活資料叢書 第三巻』 渋沢敬三、1973、、三一書房
(14)『古地名新解』 石見完次、1992、神文書房
(15) 谷川健一氏は、「サルタヒコの誕生」(『流動』1974)で、イサハのイサは鯨をさす語とあるといい、「イサハベ→イサベ→イソベと変化する」と記している。(『谷川健一著作集4、古代史ノオト』 1981に所収)
(16)『鳥羽志摩の民俗』 岩田準一、1969、中村幸昭
(17)「志摩の磯辺」『流動』 谷川健一、1974(『谷川健一著作集4』所収)
(18) 「天石窟伝承について]『立命館大学第四六三~四六五号』 神崎勝、1984、立命館大学
(19)『日本古代地名の謎』 本間信次、1975、新人物往来社
(20)『能登守り神と海の村』 小林忠雄・高桑守史 1973 日本放送出版
(21)『民間伝承』第十五巻十一号 1951
(22) オセアニアのサメわな漁の形態と分布は、『漁撈文化人類学の基本的文献資料とその補説的研究』(藪内芳彦、1978)の「Ⅱ、わな仕掛けのサメ漁」に依り記述した。宝島のサメ漁は「拾島状況録」(1895)および、読売新聞、1967年3月24日夕刊に写真入りで紹介している。また、『漁撈の伝説』(桜田勝
徳、一九六八)に、「アナマワリと呼ぶフカの瀬にひそんでいるところに潜水して行って、このフカを抱き捕ってくる人にいたっては、ある兄弟二人だけに限られている」と昭和15年のこととして記している。
(23)池原善太郎(昭和31年生)の昭和50年における証言として、「帆を巻上ぐる綱で輪作って餌ばかし流したら、鰹が輪に頭を突っ込むもんな。そ奴を括ったわけですたい。四百斤ばかりある耳簸やったもん」、とある。『天草漁民聞書』、久場五九郎変、1975,『近代民衆の記録7-漁民』
(24)「漁撈活動と魚の生態-ソロモン諸島マライタ島の事例」『孝刊入類学7-2 1976』 秋道智彌 1976 講談社
五九郎編、1975。『近代民衆の記録71 漁民』岡本達明編、1978 に所収
(25)『魚と人と海』 大島襄二編 1977 日本放送出版協会
(26)『日本漁業経済史中二巻』 羽原又吉 1954 岩波書店
(27)『鮫』 矢野憲一 1979 法政大学出版局
(28)『本朝食鑑4』 人見必大 島田勇雄訳注 1980 平凡社
- 2022.11.21 「さめディア」に掲載*
- 2011.08.15 Word版として改訂
- 1995.1.1「フォークロア 1994 No.6」に連載
- 1994.11.1 「フォークロア 1994 No.5」及び
* 今回「さめディア」に掲載するにあたり、故樽本龍三郎先生の奥様をはじめ、たくさんの方にご協力いただきました。ここに感謝の意を表します。
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