ルポ 2022/11/21   2022/12/29    樽本 龍三郎

八丈沖に鮫を追う -「第十八福洋丸」同乗記

福洋丸と乗組員

故樽本龍三郎先生が2011.8.15 Word版として改訂されていたものを転載・さめディアに掲載するために編集したものです。

人々のイメージを豊富にかきたてる言葉の一つに「旅」がある。残念なことに、「旅」について論評する能力がぼくには欠けている。しかし、旅そのものを語ることはできるだろう。忘れられない旅がある。忘れられない人々がいる。

中学生のころから、ぼくは鮫に興味を持ち、いつか生きた鮫を見たいと思い続けていた。大学生になり、自由な時間を持てるようになると、ぼくは日本の各地を訪れた。旅先では常に鮫に関する民話や記録を捜しまわった。宮崎で鮫の肉を食べた。青森では、つい最近までやはり鮫を食べていたとのことであった。そして今でも鮫捕獲専用の延縄漁船が出漁していると言う。ぼくは気仙沼の漁港を訪ね、「第十八福洋丸」がその船の一隻だと知ったが、あいにく出漁中であった。

その後しばらくたってから、気仙沼の福洋水産から電話連絡で、福洋丸が漁の途中に銚子港で数日停泊すると教えてくれた。ぼくはすぐに旅の荷物をまとめた。

昭和49年8月6日。午後8時にぼくは銚子に着いた。銚子港内はひっそりと人影もなく、投錨中の小さな漁船の丸窓から侘しげに裸電球の光がこぼれている。

福洋丸の船頭をしている吉田大治さんはある旅館に泊まっていた。すっかり電気の消えた旅館のベルを鳴らし、そこの主人の案内でぼくは吉田さんの部屋を訪れた。客と酒を酌み交わしている吉田さんに、鮫が見たいから乗船させてくれとぼくは頼みこんだ。非礼を承知で何度も強引に頼んだ。その夜は返事をもらえず、ぼくはその旅館の客になった。

翌朝六時ごろ、ぼくは吉田さんに叩き起こされた。船を見せてやると不機嫌な様子で言った吉田さんのあとを黙ってついて歩き、魚市場に向かった。そこでは、福洋丸が水揚げの最中で、鮫やカジキがデッキに並んでいる。福洋丸はわずか61トンのちっぽけな船だった。だがこのクラスの船で遠くハワイ諸島まで出漁するとのこと。これには驚いた。

吉田さんの紹介で船長(注1)に会う。漁船に乗るには船員手帳が必要なのをぼくはその時まで知らなかった。銚子の海運事務局に行くと、戸籍謄本と健康診断書がないと船員手帳は発行できないと断られた。

福洋丸の出航は3日後にせまっている。出航当日にようやくすべての手続きを完了し、やきもきする船長に詫びを言って、船に乗った。

漁船の出漁にも軍艦マーチが鳴り響く。福洋丸は埠頭を離れ、針路を南にとる。右手に犬吠埼。それも遠く小さくなったころ、僕は福洋丸の乗組員に紹介された。総勢13人。いずれも海の男らしく、赤銅色の膚に腕は太く、もり上がった腹筋が僕を威圧する。やがて、太田輝久船長や吉田機関長、民君、高君、唖のツーさんと極めて親しくなるのだが、その時は都会育ちの僕の体が貧弱に思え、劣等感を強く覚えただけであった。

乗船後、数時間がたち、夕日が西に沈みだすと、急に気分が悪くなって吐いた。船室のベッドは箱形で、長さは約1.8m。幅と高さは80cmほどで、枕元に螢光灯と小型扇風機が取りつけてあった。ぼくはベッドに倒れこみ、すぐに眠った。

翌朝、8月10日。ぼくは船のブリッジに案内された。船長が航海日誌の記述法から、船酔い克服法までいろいろと教えてくれる。 ブリッジから見渡せるのは濃藍色の海と澄み切った空。ぼくの側を船員たちが行き交うが、その東北ナマリのきつい言葉はほとんど理解できない。船は南に進んでいる。

本当の船酔いはこれからだと船長が言った。激しい嘔吐感に襲われる。ぼくはブリッジを離れ、甲板で何度も吐いた。
船室の空気はなまぬるく、重油と炊事場特有のすえたにおいがたちこめている。ベッドに入ることをあきらめ、艫で寝ころんだ。太陽の日差しが強い。

出るのは胃液と涙のみ

10日午後5時。ベルが突然けたたましく鳴り響いた。八丈島沖合、南東150度。早くも漁場に到着したのだ。ベルはスタンバイの合図である。ぼくは座り込んだまま、皆が一斉に艫へ駆け上がり、あわただしく動きまわるのを眺めていた。
投縄(とうなわ)開始。船員が手品師のように束ねてある縄を素早く海へ投げこんでいく。一定の間隔をおいて縄に浮標竹がつけられ、旗付きのその竹がたちまち船から遠ざかる。ぼくは投縄の途中で眠ってしまった。

投縄(とうなわ)風景
投縄(とうなわ)風景

「内へ入(へえ)んなよ、もう終わったからさ。明日鱶(ふか)の顔見たら、元気になるべ」と船員の一人が言い、ぼくをベッドまで運んでくれた。投縄を終えた船はエンジンを止め、波間に漂う。冷房が切れ、扇風機が音をたてて首を振りだした。停止した船の揺れ方は、操業中とはまるで違う。波にまかせて船は大きくうねっている。船内は狭く暑く、胃は絶えずむかついていた。舷を洗う波の音は高い。そして電灯の消えた船室はやけに暗い。波の音と寝息のほかは、何も聞こえなかった。

11日午前4時。炊事担当の木下さんがぼくを起こす。船はとっくに動きだし、揚縄(あげなわ)はもう開始されていた。木下さんの手助けで合羽を着た。強い太陽の下では合羽を着たほうが体力の消耗を防げるのだ。甲板は海水と鮫の血で汚れ、船長が皆を指揮していた。

ぼくは仕事の邪魔をせぬよう、甲板の隅に寄り、必死になって嘔吐をこらえた。嘔吐感はしかし容赦なく襲いかかってくる。デッキの手すりにもたれ、ぼくは吐こうとする。乗船してからカンジュースを飲んだだけなので胃は空っぽだった。喉をゲエゲエとしぼってみても、出るのは苦い黄色の胃液と涙だけ。

日が昇る。あたりは鉛色の太陽光線を反射する鈍重なうねりの波でいっぱい。重い瞼を閉じると一瞬意識が朦朧としてくる。
「酔おうとしているうちは、ダメだよ」と誰かが通りすがりに言った。

11日午後2時。揚縄完了。獲物に興味はわかない。二時間の休息ののち、再び投縄スタンバイ。黄昏になり、やっと太陽から解放される。働く船員たちの側を離れ、ぼくはこっそりとベッドにもぐりこんだ。

12日午前2時。またしてもベルの音。はてしない悪夢が続く。この船には朝も昼も夜もないのだ。漁場では投縄と揚縄の繰り返しで、その間をぬって船員はわずかの仮眠をとるだけである。しかも労働は極めて激しい。船室にはビタミン溶液のカプセルが山のように積んであり、船員たちはそれを水がわりに飲む。極めて不摂生、不健康な生活なのだ。しかし、彼らの膚は褐色に輝いている。

この人たちは船が真底から好きなのだ。短い一航海の間に、生命や時間や感覚さえも凝縮し、充足しきろうとしているかのようだ。

仕事が一段落したころ、ぼくは恥をしのんで船長に便秘薬をもらって飲んだ。船に乗る前から通じがなかった。船酔いが治まらないのは便秘のためかもしれない、と考えたのである。
「なに、船じゃ一ヵ月便秘してもどうもねえ、それにおめえ、尻から出すかわりに口から出してっペ」と後川さんが言った。皆が笑う。

8月13日。便秘解消。ついでに茶づけを一膳口へかきこんだ。皆が楽しそうにぼくを見ている。唖のツーさんが両腕に力瘤を作って笑った。

揚縄完了後はいつも甲板を洗い流し、全員素っ裸になると汚れた体に海水をかけ合う。その日、初めてぼくも裸になった。
「おめえの〇〇〇は小せえな」と機関長がぼくの下半身を指さす。陽気な笑い声。ここでは都会の複雑で憶病な神経は不必要なのだ。
「明日からは、もっと楽になるべ」と坂下さんが言った。

次の投縄までに、餌になる冷凍サバをくだく仕事にぼくは加えてもらった。民君が下手な冗談を連発し、船長が航海談を話しだした。伊藤さんが火のついたたばこをさしだす。それを断るぼくを、機関長がたしなめた。「おめえ、たばこは男のロマンだんべ、断ることあっか」
今までは船酔いでたばこどころではなかったのだ。
一ぷく吸うと快く頭がぐらつき、昨日までの苦しみが嘘のような気分になった。

8月14日午前3時、船は闇を走り、ライトが明るく甲板を照らしている。ぼくは皆の作業を手伝った。
機関長が縄をとって、ローラーに巻きつける。ラジオブイが引きあげられ、縄の出てくる海面をライトが照らす。そこだけが暗闇にぽっかりと穴をあけ、海面が青白く光った。するすると船内に上がる一条の縄が、こうして遠い昔から海と漁師を結んでいるのだ。

「ほれアオだ」と言う大声が夜気に浸透した。高君が縄をたぐり、鮫を右舷に引き寄せる。坂下さんと馬場さんが鉤竿を構え、二人がかりですかさず鮫を甲板に投げいれた。俗称アオ、正式名はヨシキリザメだった。鮫は尻尾をばたつかせ、青黒い背を光らせながら、甲板に細長い体をくねらせている。鮫の鼻先にツーさんが掛け矢(木槌)を振り下ろした。

ヨシキリザメ(俗称:あお)を取り込んでいるところ
ヨシキリザメ(俗称:あお)を取り込んでいるところ

鮫が静かになると坂下さんが、ハイッ!チューと奇妙な掛け声をあげる。それを合図に、馬場さんが鮫に飛び乗り、鋭い針金の番線を鮫の頭から脳の脊椎神経に刺し込む。鮫の体が痙攣し、丸い瞳を白い瞼が覆う。死んだ鮫の頭をツーさんが切り落とし、それから腹を裂いた。腹から海水があふれ出て、焦げ茶色の大きな肝臓がぬるっとすべり落ちる。鮫を殺し、解剖するまでわずか30秒足らずであった。

アオザメ(俗称:もろ?)を解体しているところ
アオザメ(俗称:もろ?)を解体しているところ(ヨシキリザメは頭を切り落とすが、シュモクザメやアオザメは切り落とさない。

写真が語る海の男の友情

次の鮫が甲板に引きあげられると、ツーさんに頼んでぼくは掛け矢を握った。幾度全力をこめて撲っても鮫は暴れまわる。ツーさんはニヤニヤ笑うだけ。やっと鮫を倒すと、船長がぼくを呼んだ。
「ほれ、縄を引っぱってみろ」。船長は鮫のかかった枝縄をぼくに渡す。縄は鋼鉄の棒のように強く張りつめ、いっこうに動かない。縄を持つ両手が震えだす。

「力がねえな、ペンしか持たんからだベ」。船長は笑いとばし、ぼくの背後からぐいぐいと縄をたぐった。揚がってきたのはヨゴレザメだった。その名の通り、褐色の煤にまみれたような体色をしている。広い胸鰭と先が白くはげた背鰭を持ち、猫に似た縦長の瞳が不気味に光っていた。この鮫は二、三撃では静かにならなかった。小岩さんが鮫の背にまたがり、脳天に針金を突きたてた。

シュモクザメ(俗称:かせぶか)を取り込んでいるところ
シュモクザメ(俗称:かせぶか)を取り込んでいるところ

次々と揚がる鮫は手際よく解剖されていった。すでに夜が明け、揚縄も終わりに近づいたころ、予期せぬ鮫がかかった。機関長が垂直に海中に沈む縄を引きあげながら頭をかしげた。その時、縄がすごい勢いで海中に潜りだした。機関長が縄を繰りだし、他の人がその縄の端に予備の縄を結んだ。獲物は海の底深く潜り、縄はするすると海中に消えていく。時間が流れ、獲物と闘う機関長の背後で、皆が気を揉み始めた。

「カメラを持っていただろ。写せ、大物だ」とブリッジから船長が言った。ぼくは慌てて船室のベッドヘカメラを取りに走った。

イタチザメ(俗称:とらざめ)を取り込んでいるところ
イタチザメ(俗称:とらざめ)を取り込んでいるところ

やがて縄がゆっくりとたぐり寄せられ、カメラのファインダーで海面をうかがうと、下のほうで白い姿がなめらかに揺らぐのが見えた。獲物が浮かび上がってくる。
タイガーシャーク(和名:イタチザメ)だ。人食い鮫。凶暴で狡猾な、鮫の中でも大型の鮫だった。
海面に近くなると、タイガーシャークは狂ったように暴れ、水しぶきの中にその姿が隠れた。「写したか?」と船頭がぼくに言った。
ぼくが答えないうちに、民君が鮫のかかった縄を切り落とした。タイガーシャークは灰色がちの青黒い背をひるがえし、ぼってりとした白い腹を見せたかと思うと、尾鰭を二、三度振り、悠々と深海に姿を消した。いつもなら、イタチザメが縄にかかるとすぐに切断するのだと船長が言った。イタチザメは大物すぎて、他の縄まで切られてしまう恐れがあるからだった。「うまく撮れているといいのに」と機関長が言った。
下船してから、フィルムを現像すると、その場面はぶれていて、鮫の姿もぼやけていた。

だがぼくはピンボケ写真に満足している。そこには危険を冒して鮫を見せてくれた船員たちの心遣いが写っていた。

無骨で、表現方法は荒々しいが、第十八福洋丸の人々は生を充実していた。人間らしさと優しさがあった。
南方洋上に発生した台風を避け、福洋丸が銚子に帰るまでの二週間を、ぼくは彼らとともに暮らし、笑いこけた。

福洋丸の食事は簡単でうまかった。ありあわせの野菜を入れた味噌汁とカジキの刺し身か、その頭の煮つけ。毎日献立は同じだった。カジキは延縄ごとに数匹かかるが、たいてい体の一部を鮫に食われ、商品価値が低い。それがぼくたちの食卓を飾るのだ。
航海も終わりに近づいたころ、カジキを食べるぼくに唖のツーさんが手で何か言った。
高君が説明してくれる。「カジキの頭を食えりゃあ、一人前だってさ」
嬉しかった。やたらとカジキを食べた。

福洋丸が銚子に戻ったのが、8月23日。台風が去りしだい再び漁に出て、10月に気仙沼に帰る予定になっていた。船員たちはそれまで一緒に漁を続けようと言ってくれたが、その好意に甘えてこれ以上足手まといになり、操業の邪魔をするのは嫌だった。ぼくは福洋丸に別れをつげた。しかし、ぼくは福洋丸の人々を決して忘れないだろう。

旅とはつまり、人間に会うことだ。それも利害関係を持たぬ他人同士が、別々の人生を短い期問だけ共有し、共感しあうこと、そこに旅の本質の一つがある。
福洋丸は老朽船でやがて取り壊すと聞いた。今ごろは新しい第十八福洋丸が動いているかもしれない。出港の時には、やはり軍艦マーチをがなりたてて…

このルポを書くにあたり、福洋水産の多大のご協力をいただいた。ここに感謝します。

注1)船頭と船長の違い。船頭は船の総指揮官であり、全権が彼の手に委ねられている。船長は船の運行にのみ責任を持つ。ただし小人数のため、漁の最中には船長もデッキで働く。


  • 2022.11.21 「さめディア」に掲載*
  • 2011.08.15 Word 版として改訂
  • 2011.07.03 ブログ「魚の絵とイラスト」 掲載
  • 1975.07.18 「朝日ジャーナルVol.17 No.31」に掲載

* 今回「さめディア」に掲載するにあたり、故樽本龍三郎先生の奥様をはじめ、たくさんの方にご協力いただきました。ここに感謝の意を表します。

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