論文 2022/11/21   2022/12/29    樽本 龍三郎

伝承からみた日本のサメ崇拝文化

伊雑宮の神殿

『フォークロア』 本阿弥書店 No.5,No.6

故樽本龍三郎先生が2011.8.15 Word版として改訂されていたものを転載・さめディアに掲載するために編集したものです。

1. はしがき

近代的生活を営む私達には、ある種の動物と自分とが家族的系列にあるとする、アニミズム(動物崇拝)の世界は、理解しがたい。
狩猟や漁撈で生活している者は、生活の糧に、例えばクマやライオン、サメやクジラを殺すが、逆にそれらの動物にいつ殺されるかわからない恐怖心を抱いている。そこでは、食うか食われるかの状況で、人間と動物とが対等な関係にあり、いわば"生物"としてのヒトの根元的姿をみることができるのではないだろうか。
だとすれば、私達もそうした食う・食われるの状況に身を置かなければ、アニミズムが理解できないことになる。しかし、それは不可能に近い。
そこで本稿では、サメにまつわる伝承を『風土記』や地方にのこる口伝を照合し、実際にサメに襲われた漁師の証言をまじえ、サメと漁撈民との関係を、伊勢志摩の磯部を拠点に展開してきた「イソベ海人(あま)」を中心に論じてみたい。

2.「古事記」・『風土記』にみるサメの伝承

まずは、『肥前国風土記』。佐嘉郡(さかのこおり)に以下の記述がある。
此の川上に石神(いしがみ)あり、名を世田姫(よたひめ)といふ。海の神、鰐魚(わに)を講(い)ふ、年常(としごと)に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の底の小魚多(さわ)に相従ふ。或は、人、其の魚を畏(かしこ)めば殃(まが)なく、或は、人、捕り食へは死ぬることあり。凡(すべ)て、此の魚等、二三日住(ふつかみかとど)まり、還りて海に入る(1)。

文中の鰐魚(わに)は、諸説あるがここではサメと考えてよいだろう。このサメが小魚を従えて川を逆上り、世田姫に会いに行くという佐賀県佐賀市あたりの伝承である。モチーフとしては、サメないし魚の宮参りであり、注意したいのは、この宮参りの魚を捕食すれば災いがおこる点である。
つぎは、いささか長い引用になるが、以下に『出雲国風土記』意宇郡安来郷(やすきのさと)_(島根県安来町周辺)に伝わる伝承を紹介しよう。

六七四年旧暦七月十三日のできごととして、
語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の女子(むすめ)、伴(くだり)の埼に逍遙(もとほりあそ)びて、邂逅(たまさか)に和爾(わに)に遇(あ)ひ、賊(そこな)はれて皈(かえ)らざりき。
その時、父猪麻呂、賊(そこな)はれし女子を浜上(はまべ)に斂(おさ)めて、大(いた)く苦憤(うれへいきどほ)り(中略)是(かく)する間(ほど)に、数日(あまたひ)を経歴(へ)たり。
然(しか)して後、慷慨(うれた)む志(こころ)を興(おこ)し、箭(や)を磨(す)り、鋒(ほこ)を鋭(と)くし(中略)、「天神(あまつかみ)千五百萬(ちいほよろず)はしら、地祗(くにつかみ)千五百萬(ちいほよろず)はしら、并(ならび)に、当国(このくに)に静(しづ)まり坐(いま)す三百九十九社(やしろ)、及(また)、海神等(わたつみたち)、大神の和(にぎ)み魂(たま)は静まりて、荒み魂は皆悉(ことごと)に猪麻呂が乞(こひたの)むところに依り給へ。
良(まこと)に神霊(みたま)有(あ)らませば、吾(われ)に傷(そこな)はしめ給へ。ここをもて神霊(みたま)の神たるを知らむ」とまをせり。
その時、須臾(しまし)ありて、和爾百余(わにももあまり)、静かに一つの和爾を囲続(かく)みて、徐(おもぶる)に卒(ゐ)て依(よ)り夾て、居(お)る下(もと)に従(つ)きて、進まず退(しりぞ)かず、猶(なほ)囲繞(かく)めるのみなり。
その時、鋒(ほこ)を挙(あ)げて中央なる一つの和爾を刃(さ)して、殺し捕ること已(すで)に訖(お)へぬ。(2)

語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が浜辺で遊んでいたところサメに襲われ命を落とした。猪麻呂は数日間苦しみ憤り、ついに、天の神、地の神をはじめ、ありとあらゆる神に訴えたところ、サメが、仲間の一頭のサメを中央にかこんで、猪麻呂にさしだした。それで、そのサメを鋒でつきさして殺した、という伝承である。
以上の二つの伝承から、古代の日本人が、いかにサメに対応していたのか、おぼろげにみえてきそうである。
まず、『肥前国風土記』の世田姫の伝承では、サメを畏れ、これをむやみに捕ったり、殺さなければ危険はないが、逆にサメを畏れず捕ったり、殺そうとすれば、その人が殺されることを伝えている。

ついで、『出雲国風土記』の猪麻呂の伝承では、海神であっても、サメが人を理不尽に襲えば、人はサメに復讐することが許される。といったぐあいに、その前提として、人間とサメとの間に契約があったことを嗅わせる。すると、ここにサメと人間の対等な関係がみられるのである。

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