ルポ 2022/11/21   2022/12/29    樽本 龍三郎

私と気仙沼

昭和48年当時の気仙沼

『近畿大学農学部水産学科』卒業論文の御縁

故樽本龍三郎先生が2011.8.15 Word版として改訂されていたものを転載・さめディアに掲載するために編集したものです。

私は現在59歳だが、気仙沼を最初に訪れたのは、昭和48年10月頃だったと記憶する。
私は当時近畿大学の水産学科の4年生だった。10月だと言うのに卒業論文の題材さえ決めていなかった。私が少年のころよりサメに興味を持っているのをよく知っていた、兄の友人で青森在住の佐藤さんから、新聞の切り抜きの束が送られてきた。

青森県八戸市

それは新聞社の名前は今となってはわからないが、「太平洋大ザメ狩り―実習船賓洋丸同乗気ー」①~⑩で、八戸市鮫町にある水産修練場の賓洋丸(48トン)に、16歳の若者が4~5名のり込み、おもに地元でモウカと呼ばれる和名ネズミザメ-Lamnaditropis-と、ヨシキリザメ-Prionaceglauca-を獲る。

ネズミザメ
ネズミザメ
冷水性のサメで、2.5メートルくらいになる。(樽本龍三郎写真)
ヨシキリザメ
ヨシキリザメ
温帯から熱帯にすむ。4メートルくらいになる。(出典:岩井保著伊藤勝敏写真、昭和61年保育社刊)

同修練場は沿岸漁民の師弟の教育機関で、「高校に進学できない沿岸漁民の師弟を1年間にわたり全寮制で預かり、(北洋で-樽本注)主に漁労技術、操船技術、航海士の知識、気象、気象と水産資源に関する知識を習得させ、自立できる漁民を育成しようと県(青森県)が昭和12年開設した。」(同上新聞)

震災前、現代も続いていたのか確かめていないが(続いていれば被災されていると思われます)、これを見た時私の卒論のテーマは決まった。『サメの漁業と流通』である。助教授に報告に行くと「そんなん調べて、何の意味がある」と言われた。「それでは、このテーマでどうすれば優がもらえるか」と反論したら、400字つめの原稿用紙に100枚以上書いてきたらやると言われ、結局120枚書いて、その上「優]どころか、発表の後助教授から「この論文は学位論文でも通る」と言わせた。なにしろ、それまで誰も調べていなかったテーマで、資料もなかった。

私はなにはともあれ、同修練場を訪ねた。ここの連載記事を見てきたこと、自分はサメの漁業を調べたい旨伝えると、しばらく通ってきなさいと言われた。

私は、先の青森の佐藤さんのところに一時とまりこみ、そこから通った。貴重な資料もいただき、また40年前では今では考えられないほど高価な白黒コピーをたくさんとらせてもらった。サメ漁業のことなら気仙沼に行きなさいと言われ、八戸をあとにした。

宮城県気仙沼市

鈴木商店

八戸の調査で終わるつもりだったが、気仙沼も調べなくてはならなくなった。

この調査は電車賃だけ持って、ほぼ無銭調査で、八戸の時は青森の佐藤さんに仮住まいさせてもらって、毎夜夜の街に繰り出し、豪快に飲んだ。後で聞くと、青森にいた1週間で40年前で20万円も飲んでしまったらしい。彼の1カ月分の給料が飛んだことになる。

さて、気仙沼となるとどこに泊まらせてもらうか、思案した。すると一人の顔が浮かび上がった。同じ大学で同窓生の鈴木だ。彼はたしか実家が気仙沼だったはず。彼に電話し、かれこれこうしたわけで、おまえの実家に泊めてもらえないか。期間は調査してみないことには分からない、というと快く承知してくれ、家には連絡しておくから、気仙沼港の岸壁に沿ってあるくと鈴木商店があるから、今すぐ訪ねていけ、とのこと。もちろん鈴木は、2学期中で学校で卒論を書いている。だから友人の留守中に家に上がり込んで、泊まり込んで調査した。今思えば厚かましいのにも程がある。

鈴木商店は、船問屋で食料品から日用品まで、航海中必要な物資を納入するので、岸壁に店を構え、船に配達する。

昭和48年当時の気仙沼
昭和48年当時の気仙沼。
船の後方に見える商店が船問屋である。

魚市場風景

まず市場に入って目に入るのが、マグロ類である。種類に分けて整然と並べられ、落札されたマグロに落札者の名前が書かれた紙が貼られていく。

昭和48年当時の気仙沼魚市場
昭和48年当時の気仙沼魚市場
クロマグロ
クロマグロ、後方に並んでいるのもマグロである。

そして、その隣に、モウカが並べられている(尾びれは既にフカヒレ業者に切取られている)。モウカはサメの仲間でも高価で、冷凍業者により皮を剥がれ三枚に下ろされ、冷凍され、ある特定の地域や、イタリヤなどにも輸出され、かの国ではステーキで食べられるという話だ。そのため、練り製品にしかならないヨシキリザメと違って、扱いが丁寧である。

ネズミザメの水揚げ
ネズミザメ(モウカ)
約80キロくらいのものが揃えられている。(白黒写真)

すぐ、岸壁では漁船からヨシキリザメが水揚げされ、やまずみにされている。ヨシキリザメは水揚げされると、フカヒレ業者が、尾びれ、胸鰭、背びれを切り、大、中、小に分け、かごに入れていく。身は冷凍業者によって皮を剥がれ三枚に下ろされ、冷凍出荷される。

ヨシキリザメの水揚げ
ヨシキリザメの水揚げ、だいたい30~40キロのサメが多い。
ヨシキリザメの水揚げ
ヨシキリザメのフカヒレを切り取っているところ。
ヨシキリザメの水揚げ、仕分け、計量
ヨシキリザメのフカヒレの仕分けと売買のための計量。(白黒写真)

  • 2022.11.21 「さめディア」に掲載*
  • 2011.08.15 Word 版として改訂
  • 2011.03.28 ブログ「魚の絵とイラスト」 掲載

* 今回「さめディア」に掲載するにあたり、故樽本龍三郎先生の奥様をはじめ、たくさんの方にご協力いただきました。ここに感謝の意を表します。

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