新潟県上越地域のサメ食文化
上越のサメ漁について
現在の上越地域で食べられているサメは主に二つ。
地方名で深ざめやモウカざめと呼ばれる標準和名ネズミザメと地方名で棒ざめやムキサメと呼ばれる標準和名アブラツノザメである。
好みや料理に寄って使い分けるご家庭もあるそうだが、聞き取り調査を進めて行くと高田周辺は大型のネズミザメを食べる家庭が多く、直江津周辺は小型のアブラツノザメを食べる家庭が多いことがわかった。
理由としては大きく二つあり、江戸時代に藩から許可されたサメの漁業権と販売権があったエリアに由来、また戦後行商さんが販売したルートによるものである。
とはいえ、昭和から平成も過ぎて今は令和の時代、引っ越したりスーパーで好みのサメを買ったり、だんだんその区別は薄れてきているそうだ。


現代のサメ漁について、昭和27年からサメ漁をしてきたという漁師さんに取材をさせていただいた。
近年、スーパーマーケットに並ぶサメの中に新潟県産サメをほとんど見かけなくなった上越地域だが、なんと『サメが揚がらなくなった』のではなく『サメを獲らなくなった』そうだ。
近年、上越沖では『はえ縄漁』ではなく『底びき網漁』が主流となり、はえ縄で垂らしてある針が底引き網に引っかかってしまうため相性が悪いのだという。
また後継者不足や漁港の老朽化などの理由もあり、上越で消費する量のサメが地元産のサメでほとんど賄えない状態なのだと上越市の資料などで分かった。


現在上越地域で流通している深サメ(ネズミザメ)のほとんどは、サメの水揚げ日本一を誇る宮城県気仙沼市から来ている。気仙沼市ではフカヒレは使用するが身はほとんど食べられて来なかったため、現在その大半が上越の魚市場にやってきているという。
郷土料理の継承という観点から、地元産のネズミザメ(もうかざめ、深ざめ)を獲らなくなった今でもネズミザメの切身が通年安定してスーパーマーケットや魚屋さんに並んでいる環境はとても恵まれており、ありがたいことだなぁと感じる。
気仙沼に水揚げされた新鮮なネズミザメがトラックに乗って、上越の魚市場にやってくる。20年以上前から上越で足りないサメは気仙沼から補う関係にあったそう。
気仙沼から安定してネズミザメ(モウカザメ、深ざめ)を仕入れられる理由に、上越ではサメ肉を食べるが気仙沼ではもともとサメ肉を食べる習慣がないためというのがある。
気仙沼はサメ水揚げ日本一の街であると同時に、フカヒレ生産日本一の街である。
ネズミザメ(モウカザメ、深ざめ)のフカヒレやモウカのホシ(心臓)を加工や販売に使用し、サメ肉部分は上越の魚市場に送っている。気仙沼の水産関係の方から上物8~9割を上越に送ってるよという話も聞いたことがある。
昨年プロデュースさせていただいたサメ珍味商品(鮫の清酒漬け、鮫のワイン漬け)は気仙沼産のサメを使って気仙沼市の会社で乾燥したものを上越市の会社に送ってもらい加工している。この商品は気仙沼市のふるさと納税返礼品にも入っている。
サメの需要と供給、気仙沼と上越の素晴らしい関係だなぁと思う。水揚げされたサメの命をまるごと大切にいただく、食育の観点からも理想の関係と言えるのではないだろうか。
気仙沼市と上越市や妙高市がサメでつながっている街であること、サメの分け合いっこの関係、とても素敵だなぁと思う。
上越のサメ商品


冬の風物詩太物市
毎年12 月27 日は魚市場でサメの大きな競り市が開催され、太物市と呼ばれ、江戸時代から続く上越地域の冬の風物詩となっている。
ヒレを切り落とされた丸太状のサメが競りにかけられるため、太物市である。
年末になると『サメがなければ年が越せない』という言葉を聞く。
年末の魚屋やスーパーマーケットでは文字通りサメが飛ぶようにどんどん売れていく。
帰省してくる息子や娘がサメ料理をリクエストするので『張り切ってサメ料理をたくさん作っておかなきゃ』という話もよく聞く。
通年食べられているサメだが昔ながらの食文化として、今もサメは上越地域の年越し魚なのである。






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