食史 2022/01/29   2022/12/29    井部 真理

新潟県上越地域のサメ食文化

郷土料理研究家  井部 真理

享保の改革と農業政策と飢饉

新潟県上越地方とサメ食の歴史は、江戸時代中期の享保の改革の頃までさかのぼることになる。第8代将軍徳川吉宗によって行われた主に財政再建を目的として行われたあの有名な改革である。目安箱や公事方御定書など多くの政策が行われたが、その中のひとつ『新田開発の奨励』が新潟県上越地方のサメ食の歴史につながっていくことになる。

農政の安定政策として、全国で治水や新田開発が積極的に行われ、越後(新潟)にも多くの新田が開発され、河川も整備されていくことになる。河川に堤防を作り、堰や水門を設けることで農業用水を確保し、広大な領域に灌漑を実現した。結果、米の生産性は大きく上がり、徳川吉宗は米将軍や米公方と呼ばれることになった。
一見とても素晴らしいばかりの農業政策のように聞こえてくるが、実はこの後行き過ぎた開発により、強引に治水した河川が耕作地に近接しすぎていたため全国各地で洪水が頻発することになるのである。
また稲作の行き過ぎた奨励は、結果的に冷害に脆弱であった。
というのも、当時はコシヒカリのような冷地の品種があまりなく、高田藩を含めた越後国や東北地方のような冷地では米の安定した収穫が困難だったのである。

越後国高田藩(新潟県上越地域)では、
1742年 水害(関川・矢代川、稲田橋が流される)
1743年 出水の影響で、秋の収穫が激減
1744年 大雪(異常気象)
1751年 宝暦高田の大地震
洪水、大雪、大地震と続き、高田藩は⾧年財政難に苦しむこととなった。
(※1756年 漢方医丸山元純によって記された『越後名寄』より)

そんな災害や異常気象により高田藩の庶民は⾧らく飢えに苦しむこととなるが、そんな中、サメが貴重な食料となっていったという。
『越後名寄』にはサメについて『肉ハ市場ヘ寄テ賤民ノ饌トス』との記述もあり、賤民(せんみん…貧しい人)の饌(せん…食べ物)であったという、経済的に余裕のない庶民の食べ物であった当時の様子をうかがい知ることができる。

高田藩の財政を支えたフカヒレ

高田藩でサメが飢饉対策として食べられた背景には、越後国の沿岸にはサメが年間を通して多く生息し、中でも冬に水揚げが多かったということがある。前述の越後名寄にもサメ漁についての記述がある。
そんな中で高田藩のサメ漁がさらに大きく発展し、同時にサメが飢饉対策の食べ物ではなく日常的な食べ物となるきっかけがあった。
1773年に柘植三蔵が佐渡奉行として越後国にやってきたこと、その2年後1775年に柘植三蔵が⾧崎奉行に配置転換となったことが大きく影響する。

当時の江戸幕府は、俵物三品と呼ばれたナマコ・アワビ・フカヒレの干物を中国に輸出することを奨励していた。当時の日本は鎖国中だったので、中国へは⾧崎の出島経由で輸出することになる。
新潟から⾧崎に転勤となった柘植三蔵が、サメの水揚げが多い高田藩に勧奨し、高田藩はフカヒレを中国に輸出することになったのである。
1880年に名君として知られる榊原政令が高田藩主となり、積極的な政策を進めて藩財政の安定をもたらしていき、フカヒレ輸出も大きな政策のひとつであった。
高田藩が幕府のフカヒレ集荷体制に組み込まれ、海浜の各町村にサメ漁が厳命され義務づけられたことによって、サメの水揚げ量は大幅に増えることになり、輸出用のフカヒレ以外の部位は高田藩内に大量に流通し、サメ肉は高田藩内で誰もが食べる一般的な食べ物となっていった。

上越地域のソウルフード・郷土食サメ

通年お店や食卓にサメが並ぶ上越地域だが、いわゆる郷土料理としてのサメ料理だけでなく、現代ならではのサメ料理としても日常的に食べられているのが特徴である。
昔ながらの年越し魚としてのサメ料理がある。
昔は年末に買ってきたサメを雪の中に埋めて置き、年末から小正月にかけて少しずつごちそうとして食べたそう。大晦日には年越しのごちそうとして前述のサメの御平(煮付)、年が明けたらサメの雑煮やサメのぬたなどで食べ、小正月には煮こごりを作って食べた。

上越地域には小正月に『やぶいり』と言われる風習があり、お正月に嫁いだ先でごちそうを作ったり来客をもてなしたり忙しく働いた娘が実家でゆっくり帰省することのできる日となっている。
その昔娘に食べさせるものがなくても工夫をし、正月に食べたサメの残りの皮やエラなどを使って煮こごりを作ってごちそうとして娘に食べさせた両親の愛情料理だったと聞き、胸が熱くなった。

郷土料理はやはりどれもストーリーが詰まっている。

上越の郷土料理

サメ雑煮
サメ雑煮
サメ御平
サメ御平
サメ煮こごり
サメ煮こごり
サメぬた
サメぬた

上越地域ではサメは学校給食のメニューにもなっている。
飲食店や惣菜店やパン屋さんなどでは、サメを油で揚げて提供されることが多い。ご家庭ではサメフライ、ムニエル、テリヤキ、味噌焼き、煮付などが多いようだ。カレーや汁物などにも合う。
子どもの頃から当たり前のように食卓にあったサメ料理なので、上越地域でのサメ食の取材や講演などで『えっ?サメってほかの地域で食べられていないんですか?こんなに美味しいのに…!』『サメって日本中みんな食べてるんだと思ってました!』という話をよく聞く。
先祖代々サメを食べてきた上越地域の人々にとって、サメは間違いなくソウルフードのひとつである。

上越のサメ料理

パン屋さんのサメバーガー
パン屋さんのサメバーガー
ラーメン屋さんのわんたんフカソバ
ラーメン屋さんのわんたんフカソバ
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