論文 2022/11/21   2025/03/20    樽本 龍三郎

伝承からみた日本のサメ崇拝文化

伊雑宮の神殿

3. イソベサマ

サメとの親近関係を結んでいたと思われる漁撈民がいる。ここでは「イソベ海人」と呼んでおこう。
伊勢神宮内宮の別宮(べつぐう)で、伊雑宮(イサハノミヤ)という神社が三重県志摩郡磯部(イソベ)にある。

伊雑宮の神殿
伊雑宮の神殿(樽本撮影)

この神社は古くは『延喜式神名帳』にもみえ、地元の漁民、とくに海女や船員に、海の守り神として敬われ、「イゾウグウ」(伊雑宮)とか「イソベサマ」と呼ばれてきた。この「イソベサマ」は海神の使いでサメをいい、「七本鮫」の伝承としてこの地に伝わっている。
布施田のゴサイは、旧六月二十五、二十六両日で、海女は海潜(うみかづ)きを休んで日待をする。二十五日は磯部さん(磯部伊雑宮)の祭日で、此日、神魚が沖から磯部さんの前の川へ上ぼってくるという言い伝えがあり、この姿を見た者は死ぬと言われ、たまたま海上で在って、それを見て帰って死んだという者の話もあるので、此日海に出るのを忌むようになったそうだ。そして海女は此日にたいてい磯部参宮をしたものだが、近年は少なくなった。二十六日は「かえりゴサイ」と伝って、七本鮫が磯部から沖の海へ帰って行くというので、それに行き会わぬようにとて、此日も海を休むのである。(布施田、中森直見)(3)
七本鮫伝承の根幹部分は、先の『肥前国風土記』の世田姫伝承とほとんど同じであり、サメをむやみに捕ると殺されるという部分がサメの姿をみただけでその人が死ぬというようにかわってきているだけである。このサメの宮参りは、世田姫伝承でも七本鮫でも、その所用日数は二~三日である点に注目したい。

というのは、島根県沿岸でも志摩沿岸でも梅雨明けごろ、つまり七月二十日前後、旧暦の六月二十日前後に、外洋性の大きなサメが岸近くに寄ってくる傾向があり、また、そのサメが自分たちの浜の沖合に留まるのは、種類にもよるが二~三日から一週間くらいなのである。サメはツバメのように正確にやってくる、と島根県五十猛(いそたけ)のサメ漁師はいう。志摩沿岸でも、「サメの来る時期は、旧暦の六月二十五日頃でゴサイ(日待ち)の頃です。ゴサイが近くなると必ず口の島(和貝港の前の岩場)にサメが来た。そして、サメが来ると遊泳している子供や海女も海より上がった。また、サメが来たから、そろそろゴサイが近くなった事を知った」(野村史隆氏採集)という。
サメが毎年きまったように、旧暦六月二十五日前後に接岸してくるからこそ、危険防止の意味で、海に入ったり潜るのを忌み、その日は神社に参り、数日休漁する習慣が生まれたと考えられる、サメとでくわしてはならないとする警告が、サメの姿をみただけでもその人は死ぬといったぐあいに飛躍して伝えられてきたのだろう。
山形県最上川沿いに伝わる「サケの大助・小助」の話は、地方によりバラエティがあるが、その一つのパターンは「七本鮫」の話と同じモチーフであり、別のパターンではサケに乗った人のモチーフで、これも後述のサメの背に乗った男の話と同型モチーフである。魚の宮参りや、魚の背に乗った男の話は、西日本や西南の島々に多く、最上川沿岸と千葉県香取神社などにサケの話として伝わっている他はサメの話が多い。このことから、南方型漁撈民が北上の途中、七本鮫などのサメの口伝を、サケに入れかえ伝えてきた。それが今にサケの大助・小助としてのこっているのだろう。
七本鮫伝承は、もともと七本のサメが宮参りするのだが、その一本が殺され六本に減ったという口伝もある。宮参りのサメの一本が人の子供を襲って殺したので、その子の父親がそのサメを殺し、以来六本になった。この部分は『出雲国風土記』の猪麻伝承と同じモチーフになっている。

4. イソベサマとオセアニアのサメ崇拝

サメを神とする風習は磯部地方だけではない。「田辺湾の内の浦などという処は近年まで鮫毎度谷鰹という魚を、谷海とて鹹水で満ちた細長き谷間へ追い込み漁利を与えたゆえ、今も鮫を神様、夷子(えびす)様など唱え、鮫(ふか)と言うを忌む(4)」と南方熊楠は『十二支考』で論述している。
さらに同書に、「ハワイやタヒチ等の浜辺に鮫を祭る社があって、毎度鮫来たり餌を受け、はなはだしさは祠宮を負うて二十マイルも游ぎしこと、エリスの『多島海研究(ポリネシアン・レサーチス)』四、ワイツおよびゲルラント『未開民史』六、等に見ゆ。三重県の磯部大明神にかかる鮫崇拝の遺風ある話は予の『本邦における動物崇拝』に載せた。(5)」とある。
そして「本邦における動物崇拝」の中に、「本邦には伊勢国磯部大明神は、今も船夫漁師に重く崇めらる。鮫を使者とし、厚く信ずる者、海に溺れんとする時、鮫来たり負うて陸に達す、という」と(6)(7)
「イソベ海人」のように、サメを神格化させてきた漁撈民は、インド洋、太平洋、中米、カリブ海に分布する。
秋道智彌氏は、「自然の文化表象」で、サメと密接な関係にあるオセアニアの漁撈民が、サメを単なる魚のグループの一員とみず、半人半魚のように、魚のグループでもあり、人間のグループにも属するといった両義性をもつ特別な動物として認識していることを報告している。
その例として、ソロモン諸島マライタ島のラウ族とサー族、ギルバート諸島、ニューヘブリデス諸島のなかのバンクス諸島、ハワイ諸島、ミクロネシアのテイコピア島、ソロモン諸島シュートランド島などを紹介し、「オセアニアという海の世界に生きる人びとにとり、サメは人間の生と死を、この世とあの世を、そして自然と文化をつなぐ重要な媒介物となっているのである」(8)といっている。
「イソベサマ」にみるサメ崇拝は、このように伊勢志摩にだけみられる文化現象ではない。日本だけをとっても、「イソベサマ」のように、海難などで立往生している人を、サメが背にのせて救った話は、沖縄地方に多く(後で八重山諸島黒島の事例を紹介する)、山口県周防大島のとなりの小島、沖家室(オキカムロ)島などにもある。
サメの神は一方は暗闇、つまり死の世界に通じ、もう一方は、人を救ったり、豊漁をもたらすといった明るいイメージを持つ。それは、アイヌにとってのクマと同じで、危険な動物ではあるが、それ自体が幸であり、またサメに追われてきた魚群を一網打尽したといった人々の体験から幸をもたらす神としても敬われてきたのだろう。
ただ恐ろしいだけの存在と、幸をもたらしてくれる存在という二律背反性は、動物崇拝における重要な要素であるのではないだろうか。

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