論文 2025/03/19   2025/03/20    竹渕 泉

発酵の視点から見た上越サメ食文化の研究

3.日本におけるサメ食文化

上越地域以外においても、日本にはサメを食べるという習慣があり「日本の食生活全集(全50巻)」によると、22の都道府県(地域)で食用とされている 1)。そこで、上越地域のサメ食文化と各地の状況とを比較し、両者の類似点や相違点についてまとめることとした。

3-1.広島県北部におけるサメ食文化

広島県北部、いわゆる中国地方の中山間地においては、「ワニ」を刺身にして食べる習慣が継承されているが、ここでいう「ワニ」とはサメのことである。それに関して、山崎は、「ワニという呼称はサメの古語で、現在も島根県東部にある出雲地方を中心に使用されているようであるが、この地方と縁の深い古事記の『因幡の白兎』にサメが『和爾(ワニ)』と記されていることに由来しているのかもしれない。」と述べている 1)
なかでも三次市のサメ食文化が広く知られているが、広島県立三次高等学校史学部が、1985年(昭和60年)に行った調査によると、習慣として多種類のサメを刺身で食べているのは、広島県の他には、宮崎県の一部だけとのことである。そこでは「ゆがき」と称して、「シロザメ」と「ホシザメ」を食べているとのことである 2)。サメの肉を薄切りにして、湯に通して、酢味噌で食べられており 2)、上越の「ぬた」に類するものと思われる。
一方、サメの刺身という点からは、広島県に加えて岩手県、秋田県、及び大阪府で食されているとの報告がある(表3-1)3) 4) 5)

表3-1.サメが刺身として食べられている地域と食べ方
表3-1.サメが刺身として食べられている地域と食べ方

ただし、広島県は山間地域で食べられているのに対して、他の3県は沿岸部である 4)。沿岸部では漁師がたまに捕れたサメを刺身にして食べたりする程度であるのに対して 4)、広島県では、祭りや正月などの祝いの日(ハレの日)に、積極的に食べており、その様相は大きく異なっている 4)。広島県の場合、山間地域ということもあり、海の魚の刺身は重宝されており、農家では飼育牛を売ったお金で普段食べられない無塩(ぶえん)の生魚である「ワニ」をハレの日に購入していたとのことである 6)。このように広島県と上越地域のサメ食文化については、その成り立ちや背景は異なっていると推測されるが、山間地という点においては、妙高市におけるサメ食の扱われ方と共通点が見いだせるものと考える。 広島県北部で「ワニ」の刺身が食べられるようになったのは、明治30年代後半から40年代以後(1900年以降)であると推測されている 1)。なお、地方文書(じかたもんじょ)には、1834年(天保5年)、山陰の行商人が三次地方を売り歩いた商品の中に、アジ、アマダイ、バンジロなどの干物とともに「ワニの焙り串」と記されていることから、「ワニ」の刺身を食べるという習慣は、江戸時代からのものではないと考えられている 6)。「焙り串」とは、小型のサメを天日で乾かしてつくったものである 4)
島根県にある五十猛港(いそたけこう)は、「ワニ」専門のはえ縄漁で有名な漁港だったとのことである 1)。1887年(明治25年)頃、本格的なサメ漁が始まったが、当時、サメ漁の先進地であった山口県や大分県においては、ヒレのみを切り取り、肉やその他はすべて海中に投棄していたとのことである 1)。これに対して、五十猛漁民は、ヒレを採取した後のサメの肉を持ち帰って、内陸の中国山地に販路を求めたとのことであり 1)、上越地域の「俵物三品」との共通点が認められる。
島根県の水産振興に力を注いだ安井好尚は、第1回内国勧業博覧会(1877年 明治10年)に島根県出品総代として参加し、サメ漁に強い関心を持ったとのことである 4)。明治政府がサメ漁を推奨していたこともあり、1887年(明治25年)に島根県の邇摩(にま)・安濃(あのう)群漁業協同組合支所が位置した温泉津(ゆのつ)に「フカヒレ漁伝習所」を創設している 4)。前述の通り、当時のサメ漁はヒレや肝油をとることを目的としていたが、残ったサメ肉が山間部へ送られて刺身で食べられるようになったのがサメ食文化の始まりとされている 4)
サメは、銀山街道(図3-1)を経て、山間地まで運ばれたと思われる 1)。銀山街道とは、江戸時代に石見銀山産の運上銀を尾道港へ運んだ道である。約80㎞の道のりを、当時の行商人は五十猛港を夕方出発し、夜通し歩いて翌日の昼過ぎには三次に着いていたという 1)。こうして、海産物といえば干物か塩物しか入手できなかった人々にとって、「ワニ」の刺身はハレの日に欠かせないものになったとのことである 1)。上越地域の場合、銀山街道に相当するのが旧北国街道であると推測する。
広島県北部の中山間地で食べられているサメは、主に「ねずみ」「イイラギ(アオザメ)」「尾長」の3種類である 6)

図3-1.銀山街道( 笠岡市HP 7) を参考に作成)
図3-1.銀山街道( 笠岡市HP 7) を参考に作成)

3-2.三重県におけるサメ食文化

三重県の伊勢志摩地方では「サメのたれ(サメの干物)」を食べる文化が継承されているが、これは、天皇の御料(ごりょう)であった「佐米楚割(さめすわやり)」が一般の食品となったものである 1)。 「佐米楚割」は、奈良時代の木簡(文字を書きつけた木片の荷札)に見ることができ、平城宮跡(現在の奈良市佐紀町)の宮内省大膳職(だいぜんしき)地区から「参河国播豆郡篠島海部供奉七月料御贄参籠佐米」「五月料御贄佐米楚割六斤」「参河国播豆郡析嶋(佐久島)海部供奉六月料御贄佐米楚割」など、サメと読むことのできるものが16枚ほど発掘されている 1)。この木簡は746年(天平18年)のものと考えられており、そこには、「御贄(みにえ)」と明記してあることから、天皇の御料として毎月献上されていたものと考えられている 1)。また、今日でも、「サメのたれ」は神饌(お祭りなどで神様に献上する食事)として供えられている 1)
その後、「佐米楚割」は「たれ」や「たり」と名が変わり、江戸時代には「楚割」という語はほとんど見あたらなくなったが 2)、この「たれ」という語は、「『垂れ』と書き、乾燥させるのに吊るした時、垂れる」ことからきているとのことである 3)。戦前の伊勢地方において「たれ」と言えばサメの「たれ」のことであったが、戦中・戦後の食料不足の際には、サメと同じ軟骨魚類(板鰓類)のエイも使われていたことから、両者を区別するために、「サメのたれ」と呼ぶようになったとのことである 1)
「サメのたれ」の作り方としては、味醂干しと塩干しがある 1)。味醂干しはサメ肉をできるだけ薄く切って醤油、味醂、砂糖に漬けて金網の上に並べ、1日、天日に干して作るが、秋から5月までの天気の良い日にだけ作られるとのことである 1)。一方、塩干しは、サメ肉を水でよく洗いながら長方形に切り、血合肉をとり、塩をふりかけて、1日、天日に干して作る 1)。上越の場合、サメの干物に関する情報は得られていないが、日照時間の短いことが影響しているのかもしれない。
「サメのたれ」に使われるサメの種類については、「さめのたれに使うサメは地元でイラギと呼ばれるアオザメ、山椒魚のようなドチザメ、尾が長いヨシキリザメ、金槌のような頭のシュモクザメなどがあります。」とのことである 4)。また、「アオザメ」「ヨシキリザメ」「オナガザメ」などが使われているとの情報もある 3)

3-3.東北地方におけるサメ食文化

宮城県の気仙沼は、「ヨシキリザメ」や「ネズミザメ」を中心としたサメの水揚げが日本一であると同時に、フカヒレの生産も日本屈指の地域として知られている 1)。また、現在、上越地域で流通している「ネズミザメ(モウカザメ)」のほとんどが気仙沼産である。多くのサメが水揚げされる理由として、気仙沼は近海マグロやメカジキの「はえ縄漁」が盛んであり、その際、サメも一緒に漁獲してきたことがあげられる 2)。さらに、フカヒレを始め、歴史的にもサメを原料とする水産加工業が盛んであるため、漁獲したサメの積極的な受け皿漁港として発展してきた経緯も関係しているとのことである 2)。フカヒレの製造が始まったのは江戸時代末で、気仙沼で商売を営んでいた店の主人が、毛皮を取引していた横浜に行った際に、フカヒレが商売になることに気付いたことがきっかけとのことである 2)。取引の相手は主に、神戸で清国(中国)との貿易を仲介していたバイヤーであり、その後、明治時代にかけて中国への輸出は飛躍的に伸びたそうである 2)
しかし、宮城県ではサメ肉を食べるという習慣はなかったようであり 3)、それが、上越地域で安定して「ネズミザメ(モウカザメ)」を仕入れることのできる理由の1つとのことである 3)
また、気仙沼市には、全国で唯一のサメの博物館である「シャークミュージアム」がある。1997年(平成9年)4月に開館されたが、2011年(平成23年)3月の震災で被害に遭い一旦閉館し、2014年(平成26年)4月に再開された 5)。さらに、気仙沼市ではサメをブランド化し、町おこしにつなげようという動きが見られ、「モウカの星(ネズミザメの心臓の刺身)」は気仙沼市でしか食べることのできない珍味として知られている 6)

他にも、東北地方で食べられる地域として、青森県があげられる。津軽海峡周辺は、「アブラツノザメ」の主分布域であると考えられている 7)。青森県にある三内丸山遺跡では、「アブラツノザメ」や「ホシザメ」の骨(椎骨)が、他の食用にされていた生き物の骨と一緒に発掘されていることから、サメが縄文時代から食用にされていたものと推測される 8)。サメは軟骨魚類であり、通常であれば骨は発掘されないが、脊椎骨の椎体(背骨の本体)は石灰が沈着し、体を支える目的で強化されているため 9)、幸いなことに出土されたのではないかと推測している。
青森県でよく食べられるサメといえば、「アブラツノザメ」「ネズミザメ」「ホシザメ」などであるが、種類によって、その食べ方や、食べられている地域は異なるようである。食用としているサメの種類としては、上越地域との共通点が認められる。
「アブラツノザメ」は、特に、お正月に食べられていたが、現在の青森市では、その習慣はほとんどなくなってしまった 10)。30年以上前、お正月近くになると、「アブラツノザメ」の奪い合いまであったとのことである 10)。現在もサメを食べている地域としては、弘前市、西北五地域(西津軽郡、北津軽郡、五所川原市、つがる市)、八戸市があげられ 10)、食べ方としては、醤油(と味醂または酒)にサメ肉を漬け込んで焼く「つけ焼き」、頭を煮てほぐした肉と煮た肉を酢味噌と大根おろしに和える「スクメ」、頭を煮てほぐして固める「べっこう」、刺身に切って酢味噌で食べる「ヌタ」、サメ肉を白くなるまで水にさらしてから塩をあてご飯に挟んで押して作る「飯寿司」などがある 10)
この地域では、「ネズミザメ(モウカザメ)」は「カトウサメ」「カドサメ」と呼ばれている 10)。「カトウサメ」「カドサメ」の語源は2種類あり、1つは春に漁獲されるニシンの別名が「カド」であり、このニシンを追って「ネズミザメ」がやってくることから「カド(サメ)」と呼ばれるようになったという説、もう1つが、江戸時代天保頃(1830~1844年)に青森県下前(したまえ)の漁師である加藤音吉が大量に漁獲し、弘前藩に献上して、普及したという説である 10)。同じ「ネズミザメ」でも、その地方名については、地域によって特徴が見られる。
「ホシザメ」は平内地域で食べられていたが、現在は食べる人がいなくなり、需要が減ってきている。食べ方は、生食もしくは茹でて酢味噌につけて食べる「ヌタ」や「スクメ」とのことである 10)

図3-2.青森県でサメを食べる地域
図3-2.青森県でサメを食べる地域

3-4.その他の地域におけるサメ食文化

サメのことを「ワニ」と呼ぶのは、広島県北部など、特定の地域に限られているが、「ふか(フカ)」と呼ぶ地域は大阪府、宮崎県、高知県、愛媛県など複数見られる。大阪府と宮崎県の調理方法は先述した通りである。高知県では、「ふかの鉄干し」が作られている。これは「アオザメ」または「ネズミザメ」の肉を10 × 20㎝ほどの板状に切り、塩をつけて天日干しにして作られるが、三重県の「サメのたれ」と同じものとのことである 1) 2)。愛媛県では「ふかの湯ざらし」が食べられている。「イサバフカ(ドチザメ)」「マブカ(ネズミザメ)」「ホシブカ(ホシザメ)」を食べるとのことで、酢味噌で酒の肴にしたのが始まりといわれている 3)。ゆでた「フカ」の身とこんにゃくを皿に盛り、イカ、寒天、ほうれん草なども盛り付けて、「みがらし味噌(味噌とからしをすり混ぜ、酢と砂糖で味を調えたもの)」につけて食べるのが一般的とのことである 4)
「カトウサメ」や「モウカザメ」の他に、地方名が特徴的な例として、栃木県では「ネズミザメ」を「モロ」、「アブラツノザメ」を「サガンボ」と呼ぶ 5)。どちらも、切り身を醤油や砂糖で煮付ける料理が親しまれているが 5) 6)、「モロ」は茨城県北部や福島県、宮城県沖で獲れたものを 1)、「サガンボ」は、茨城県の那珂湊(なかみなと)や平潟漁港で水揚げされたものを食べているとのことである 6)。「サガンボ」の由来は、「アブラツノザメ」の頭を切り落とし、皮を剥いだ姿が氷柱の形に似ており、茨城県北部の地域で氷柱を「サガンボ」と呼ぶことからきているとのことである 6)
逆に、サメと呼ばれていても、実際はサメの仲間でないものも存在する。例えば、キャビアがとれることで知られる「チョウザメ」は、形状がサメに似ているものであることからその名がついたそうであるが、実際には硬骨魚類に属するため、軟骨魚類のサメとは異なる 7)。他にも、頭上にある小判型の吸盤が特徴的な「コバンザメ」も硬骨魚類であるため、サメとは異なる魚である。
「日本の食生活全集」のサメの欄に、佐賀県では「よんのこち(サカタザメ)の刺身」と「よんのこちの煮つけ」が食べられているとあり 8)、「日常食で新しいものは刺身にし、鮮度が落ちたら煮つけにする」と説明がなされていた 9)。そこで、「よんのこち」が地方名、「サカタザメ」が標準和名であると推測したところ、「サカタザメ(よんのこち)」はエイ目サカタザメ亜目サカタザメ科に属するエイの仲間であることがわかった 10)。佐賀県人の中にも名前のイメージが先行し、「サカタザメ」のことをサメと思い込んでいる人がいるものと推測される。

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