資料 2022/11/21   2022/12/29    藤田 恒造

三次地方とワニの出会いのお話

かつて、海から遠く離れた広島県の中央に位置する三次市、庄原市、比婆郡では、海の魚の刺身は御馳走で、お正月を迎える年末、秋祭り、盆、祝い事などお客さんをもてなす御馳走のつきものとしてタコ(酢のもの、刺身)、エイ煮物、ワニの刺身が重宝されました。また農家では秋の収穫米、飼育牛売りからの限られた収入源であったため、飼育牛を売った現金で普段食べられない無塩(ぶえん)の海魚であるワニを購入する時代風景が農村に見られました。
また、ワニは排尿器官が未発達なため体内にアンモニアが蓄積され腐りにくいこと、身が深く小骨が無い、そして値段が安く低脂肪で食べ易いことなどから食習慣が定着してゆき、三次町は古から山陰と山陽を結ぶ交通の要所で商業拠点の町でもあったため、広域からの出入りが盛んでワニを食べる文化が次第に周辺地域に広がっていったのではないかと思われます。

ワニはいつ頃から、どうして県北部で食べられるようになったのか?

地方(じかた)文書に見られるのが、天保五年(1834年)、山陰の行商人が三次地方を売り歩いた商品の中に、アジ、アマダイ、バンジロなどの千物とともに「ワニの炎り串」が記されています。(「万右衛門変死一件綴」)
このことから、この地方でワニの刺身の食習慣は、江戸時代からのものではないように考えられます。
もともと江戸時代に山陰の漁師たちがはえ縄にかかったアマダイをワニがむしり取るのに手を焼いて、やむをえず捕獲していたものです。その他に若干ではありますが、幕府の中国輸出向けにフカヒレとして捕っていました。それは中国と貿易をするうえで主要輸出品目であった銅の生産量が減少していく中、その代替とする重要な輸出品の俵物三品(乾鮑、煎海鼠、フカヒレ)のひとつであったようです。
明治時代に入り、開かれた外国貿易が盛んになるにつれフカヒレの需要が高まる中、漁村の現金収入を増やすためにフカヒレに目をつける人が現れ、ワニ専門のはえ縄漁法の技術も導入し、明治20年代まで島根県太田市を中心に捕獲量が飛躍的に増加したと言われています。
諸説ありますが、ワニはヒレを取った後の身は海中に投棄したり、肥料に利用する程度であったそうです。明治20年以降太田市の五十猛(いそたけ)あたりの漁民が内陸の備後北部へ販路を求めて運んで来るようになったと言われています。
明治政府はサメ漁を一層奨励したようで、その例として明治時代に国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした、政府主導の国勧業博覧会(博覧会)が明治10年に開催されています。第一回内国勧業博覧会に島根県代表出品総代として島根県の水産振興にカを注いだ人物である安井好尚が参加しサメ漁に深い関心をもち、明治25年に島根県の邇摩(にま)・安濃郡(あのぐん 現在の太田市)漁業協同組合支所が位置した温泉津(ゆのつゆ)に「フカヒレ漁伝習所」を設立しました。
サメ漁はヒレや肝油を取ることを目的としたもので、不要な鮫肉は海に投棄していたそうですが、後に広島県北部に運搬されはじめワニは刺身で食べられるようになり、これがこの地方のワニ食の始まりといわれています。従って、ワニの刺身がこの地方に登場するようになるのは、明治30年代後半からのことであると思われます。

歴史に詳しい人からはワニが成長してフカ(大きいサメの俗称)になるといわれます。そもそもワニの名称の由来は諸説あるようです。三次地方では入荷先の因幡国を含む山陰地方の方言であるワニを呼称していますが、名称の由来は因幡の白兎説、隠岐の島の刺身の呼称説、鰐説(亜熱帯時の南アジアからの移動)、ウミヘビ説や和邇氏説など多数あるようです。
歴史書の無い弥生時代に古代人が残した鳥取県博物館所蔵の銅剣のワニの線刻図はシュモクザメに酷似しており、島根県埋蔵文化財調査センターによると「和邇」は特に神格化されたシュモクザメを指し他種類のサメと区別されているそうです。食に留まらず生活の領域に連なる興味が尽きない鮫カテゴリーが垣間見えます。
山間部の人の”海の真新しい食への憧れ”と漁獲地との必然的な関係性の上に定着したと考えられます。
それは、農村の豊富な米と行商人により物々交換的な経済と行き荷と帰り荷と双方向の物資流通が成立したということは、経済効率の観点からも興味のある歴史的事例と思われます。

昭和初期には山陰からサメを大八車で1週間かけて三次まで運んでいたという話しがあったそうですが、その頃には広島市内の魚市場からトラックで運ばれていたようで、各地から入荷の活況がうかがえます。しかし、食材の豊富化、多様な食味志向、ワニの愛着者の高齢化やワニの旧態食習慣のバイアス等の要因から消費量は昭和と平成時代の境目に減少が加速し、消費が集中するのは年末のみとなっています。

三次地方のワニは主に「ねずみ」「イイラギ(青さめ)」「尾長」の3種種類。 ワニの産地は2011年の東日本大震災までは宮城県気仙沼、和歌山県、高知県、鹿児島県でしたが、現在は主に高知県、宮崎県、静岡県、和歌山県(冷凍ワニなど)などに変わってきています。

※資料:升原且顕「広島県におけるサメ食慣行伝承に関する考察」など

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